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大津地方裁判所 平成9年(ワ)84号 判決

原告

甲野花子

外三名

右原告ら訴訟代理人弁護士

森田重樹

被告

医療法人社団同仁会

右代表者理事長

吉田進

右訴訟代理人弁護士

野玉三郎

主文

一  被告は、原告甲野花子に対し、一五三一万二八五七円及びこれに対する平成八年九月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告甲野春男、同甲村夏子及び同甲野秋男に対し、それぞれ五一〇万四二八五円及びこれに対する平成八年九月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告甲野花子に対し、一六二七万一六六五円及びこれに対する平成八年九月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告甲野春男、同甲村夏子及び同甲野秋男に対し、それぞれ五四二万三八八八円及びこれに対する平成八年九月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  1につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張〈省略〉

理由

一  当事者間に争いのない事実並びに括弧内掲記の各証拠及び弁論の全趣旨によって認められる事実は次のとおりである。

1  近江八幡市民病院入院までの乙山の状況

(一)  乙山は、昭和二年二月三日生まれで、昭和三〇年一〇月、精神分裂病により、近江八幡市の青樹会病院(精神病院)に入院し、約六ヶ月後完治しないまま退院した。

(二)  乙山は、昭和三四年四月一二日、精神分裂病により、豊郷病院精神科に入院し、同年五月二〇日、措置入院の決定により措置入院に切り替られた。乙山には、右入院当初、妄想的、誇大的、支離滅裂な衝動行動や新語形成や自殺企図があったが、昭和三九年春ころから病状が改善し、昭和四〇年一〇月三一日に措置仮退院となった。

その後、乙山は、昭和四〇年一一月四日、豊郷病院に再入院し、昭和四六年二月一二日措置仮退院して、彦根市内の農園で住込みで勤めるようになった。乙山は、右農園では、仕事を楽しくしているようであったが、豊郷病院が処方した精神分裂病の薬を余り服用していなかったので幻覚妄想状態に陥るなどし、同年三月一〇日豊郷病院に再入院した。右入院中、乙山には、「電波探知機から流れる電波がきつい。」など被害妄想ないし物理的被影響妄想を中心にして、幻聴や幻視が現われたが、向精神薬の投与により、入院から約二ヶ月で症状は改善し、その後は、同病院内の作業療法を受けていた。乙山は、昭和五〇年八月一日から、同病院に入院のまま、近江八幡市の日吉更生社で勤務し、清掃関係の仕事に従事するようになり、昭和五一年二月一五日、豊郷病院を措置仮退院し、同日から、右日吉更生社に住込みで勤務し、豊郷病院には外来で通院するようになった。同病院の担当医の山本陽一郎医師は、昭和五一年四月二日に往診した際、乙山の仕事仲間から、亡くなった人の話をしたり、霊感の話をしたり、「村の人が自分の中に生きていて太陽の裏にいて生きている。東条さんは処罰されたが、そういう人も太陽の裏にいて操作している。」などの妄想的発言をしたりすると聞いた。乙山は、同年三月初めころから余り薬を服用しておらず、右日吉更生社の上司から「薬を飲まないで悪くなったら、会社を辞めてもらう。」と言われたりしていたが、薬を飲むと症状が改善するものの、服用の回数を減らしたりするため、精神分裂病を再燃させていた。

(三)  乙山は、昭和五三年一〇月ころ、日吉更生社の寮を出て、アパートを借り、単身で生活するようになった。乙山は、平成四年二月二〇日に満六五歳となって、日吉更生社を定年退職した。乙山は、定年後も月一回の割合で豊郷病院に通院していたが、通院中「無条件降伏に条件を付けたるで。日本の国体が歪んでしもとるなあ。」などの妄想的言辞をしたりした。

(四)  乙山は、豊郷病院での入通院時には、専ら向精神薬を投与されて治療されており、平成七年一月六日以降には、PZCやヒルナミンなどの強力安定剤が投与されていた。

乙山は、平成七年当時も月一回の割合で豊郷病院に通院してきたが、同年七月七日に通院した際には、担当医に対し、「気分はよい。何の気になることもない。」と述べたりした。乙山は、以後同病院には通院していない。なお、豊郷病院は、左記2のとおり、乙山が近江八幡市民病院に入院していた同年八月七日に、同病院からの依頼で、乙山のために向精神薬を処方した。

(以下(一)ないし(四)につき、乙五、乙六、証人山本)

2  近江八幡市民病院入院中の乙山の状況

(一)  乙山は、平成七年八月一日午後零時三〇分ころ、郵便局からの帰り路上で倒れていたところ、同日午後一時一五分ころ、救急車で近江八幡市民病院に搬送され、同病院神経内科で診療を受け、同科の山本孝徳医師がその診療に当たった。乙山は、右受診当時発声が悪く、嚥下がうまくいかない感じであったので、山本孝徳医師は、これは仮性球麻痺という脳梗塞などで生じる一症状であると考え、CT検査の結果も踏まえ、乙山を多発性脳梗塞、糖尿病と診断した。

乙山は、翌日同病院内科を受診することとして、当日午後三時三五分ころ帰宅したが、独歩はできなかった。

(二)  乙山は、翌二日、近江八幡市民病院内科を受診したが、やはり歩くことができないと訴えて、同病院神経内科を受診した。山本孝徳医師が診断したところ、乙山の症状として左不全片麻痺(もっとも当日ははっきりしなかった。)、仮性球麻痺、歩行障害(ただし、左不全片麻痺によらないものであった。)、痴呆あるいは鬱状態が認められ、山本孝徳医師は、乙山を多発性脳梗塞、糖尿病、胃潰瘍、腎不全、ビタミンB欠乏症、甲状腺機能障害と診断した。山本孝徳医師は、乙山に対し左不全片麻痺の治療のために点滴を行うこととしたが、乙山が歩行困難で、毎日通院することが難しかったため、乙山は同病院に入院することとなった。

山本孝徳医師は、初診時から歩行不可になるほどのはっきりした麻痺がないのに、同月二日になっても歩行できなかったので疑問に思い、乙山の家族に乙山の病歴について尋ねたところ、過去に精神分裂病で青樹会病院に入院し、現在も豊郷病院の精神科で投薬を受けていることが分かった。そこで、翌三日、豊郷病院に照会したところ、同病院から、乙山は昭和三四年から昭和五一年までの間同病院において精神分裂病のため入退院を繰り返していた、昭和五一年ころから日吉更生社へ就職し、以後は入院歴はない、同病院で処方していた抗精神病薬はヒルナミン五〇ミリグラム、PZC散であるとの回答を受けた。そこで、同医師は、乙山は長年独居生活で、糖尿病の基礎疾患もあり、多発性脳梗塞を増悪させ、それが精神分裂病とともに悪循環して今回の左不全片麻痺に至ったと考え、急な断薬による精神分裂病の重篤な副作用が生じるのを防ぐため、豊郷病院が処方した向精神薬を服用し続けるよう、乙山に指示した。

(三)  乙山は、近江八幡市民病院に入院中、山本孝徳医師との意思疎通は取り辛かったものの、特に問題行動をすることなく臥床して過ごしており、抗精神病薬の中断による悪性症候群も考えられるような状態ではなかった。尿意も便意もあったが、オムツ内で失禁、失便をした。乙山は入院当初何とか食事を自力で摂取していたが、平成七年八月三日から食事介助が必要な状態になった。乙山は歩行車で何とか歩くことができる状態であった。乙山は、やや会話をするのが困難であったが、介助者の言うことを一応理解していた。ただ、乙山は言うことを聞き入れないことが多かった。感情は無気力・無関心であって、表情も暗かった。家人の管理により、豊郷病院が処方した抗精神病薬を服用していた。

(四)  山本孝徳医師は、同病院では、精神分裂病の管理ができないことや乙山の介護をする家族が遠方に住んでいて不便なことなどから、被告病院を紹介し、乙山は同病院に転院することになった。

山本孝徳医師は、被告病院においても向精神薬を投与してほしいと考え、被告病院の担当医宛ての診療情報提供書に診断名として多発性脳梗塞等、糖尿病のほか精神分裂病を記載した。

右診療情報提供書(甲五、乙一)には、近江八幡市民病院での検査結果、治療内容等のほか、山本孝徳医師が豊郷病院に照会した結果、乙山は昭和三四年から昭和五一年まで精神分裂病で入退院を繰り返していたこと、乙山は長年独居生活であり、糖尿病の基礎疾患もあり、多発性脳梗塞を増悪させ、それが精神分裂病とともに悪循環して今回の左不全片麻痺に至ったと考えたこと、近江八幡市民病院では精神分裂病の管理ができないことなどから被告病院に転院することになったこと、近江八幡市民病院に入院中も乙山は豊郷病院が処方した薬を内服していたこと、その薬の内容については直接豊郷病院に問い合わせしてほしいことが記載されていた。

乙山は、同月八日、近江八幡市民病院を退院した。

(以上(一)ないし(四)につき、甲五、乙一、証人山本)

3  被告病院入院後の乙山の状況

(一)  被告病院には、一〇の診療科目があるが、精神科はない(証人丙川)。

(二)  被告病院のケースワーカーであった小西芽衣子は、平成七年八月五日、乙山の実姉である乙谷花江から入院の相談を受け、乙山が同月二日から近江八幡市民病院に入院しているが、同月一一日までに退院するよう言われていること、既往症については昭和三二年から昭和四八年まで豊郷病院の精神科に入院し、昭和四八年退院後独居を始めたこと、現在でも一般的にみておかしいと思うほどではないがボーっとしたり、亡くなった人のことを生きていると言ったりすることを聴き取り、面談表(乙三)に記載した(乙三、証人丙川、弁論の全趣旨)。

(三)  乙山は、平成七年八月八日、被告病院外科を受診し、丙川医師(同医師は腹部外科が専門である。)が、その診察に当たった。丙川医師は、乙山を問診等した結果、脳梗塞、左片麻痺、糖尿病、両変形性膝関節炎、骨粗鬆症と診断した。

乙山は、同日、脳梗塞、糖尿病の治療と左片麻痺のためのリハビリテーションを受けるため、被告病院老年病棟二〇二号室(八人部屋)に入院した。

(四)  丙川医師は、近江八幡市民病院からの診療情報提供書を閲読し、同書には、乙山が昭和三四年から精神分裂病があり、それ以後昭和五一年まで入退院を繰り返しており、その後入院歴はないが、内服薬を飲み続けていると記載されているものの、近江八幡市民病院で乙山を精神分裂病であると判断したのならば、乙山を被告病院に転院させることはないし、同病院を退院したことは症状が継続していないことであるとして、同書に記載されていた診断名の精神分裂病は既往症であると判断した。

丙川医師は、右情報提供書に記載があったことから、豊郷病院に病院で投薬の有無について照会したところ、同病院から投与している薬剤等についての回答があった。丙川医師は、乙山や家族の者に薬(抗幻覚剤であるPZC)を飲んでいるかどうか聞いたところ、飲むときもあれば飲まないときもあるとの返事であった。

以上のことから、丙川医師は、被告病院入院中乙山に対し、豊郷病院が投与したような向精神薬を投与せず、乙山が精神分裂病の症状を再燃させる可能性があることを前提とした経過観察等も行わなかった。

(五)  乙山は、被告病院入院時には、歩行はできず、自分で起き上がることはできたが、背もたれがなければ座っていられない状態であった。聴力、視力は正常であったが、気を付ければコミュニケーションに支障はないものの、会話はやや困難な状態であった。用便はおしめにより、食事はスプーンを使えばひとりで採ることができた。

乙山は、右入院後、会話が少なかったり、発語しても言語が不明瞭であったりしたものの、ラジオを聴くなどして特に変化なく過ごしており、同月一九日ころからはトイレまで歩行できるようになった。

乙山は、同年九月には、煙草が欲しいと廊下を徘徊したり、イライラした状態で表情も険しい状態があったりしたものの、その後、特に変化のない状態が続いた。

(六)  ところが、乙山は、同年一一月二六日午後二時ころ、「レイコン証明はあるか。」、「宇宙から電波が出て……。」などと怒ったような口調で話し、同月二九日午前九時二〇分ころには、「クソ、死んだ方がましや。五センチも六センチも……金が貯まるのに。」と言って、ベッドを叩いて怒ったり、時には笑ったりしながら、独り言を言った。丙川医師は、これらの症状を脳梗塞による器質性精神病の幻覚であると考え、同月二九日から同年一二月三日まで毎日一回、抗精神病薬の一種で抗幻覚剤であるセレネース一アンプルを乙山に筋肉注射したところ、乙山の症状は間もなく改善された。その後、特に変化のない状態が続いていたが、同年一二月一一日午前一一時五〇分ころ、「ありがたく思え……。」と突然大きな声を出し、その後小声にて独り言を言うなどしたため、丙川医師は、同日から同月一三日までの間、再びセレネース一アンプルを今度は朝夕二回筋肉注射したところ、症状の改善がみられたが、同月一三日には「おやじさんがそこに来ている。」などの独り言を言っていた。その後は特に変化のない状態が続いていた。

(以上(三)ないし(六)につき、甲五、乙一、証人丙川)

(七)  乙山は、平成八年一月四日午前一〇時ころ、売店でパンを購入し、そのパンを太郎に食べさせていたため、看護婦からきつく注意された。その後、ベッドに戻って臥床し、午後六時ころには、他の患者の世話をしたり、下膳したりして表情も穏やかであった。ところが、午後六時五〇分ころになって、自己のベッドの下にあった角材を所持し、突然就寝中の太郎に襲いかかりその頭部等を殴打する暴行を加え、それにより、太郎を右暴行に基づく傷害により死亡させた(本件事故)。乙山は、右暴行の直後、ベッドの脇に角材(マットレスが動かないように、ベッドのすその方に置いてあり、シーツで包み込んでいて、直接患者の目に触れないようになっている。)を握って立っており、興奮気味で顔面蒼白の状態であり、看護婦から理由を問われたのに対し、「警視庁総監長をやっつけた。」などと意味不明のことを口走っていた。

(以上、甲一、甲二、甲五、乙一、証人丙川)

(八)  乙山は、同日夜、殺人罪で彦根警察署員に緊急逮捕され、同月六日、大津地方検察庁に送致された。同検察庁が医師吉村哲に嘱託して行った精神衛生診断の結果(甲九)によれば、乙山は、本件事故について「太郎は丁原三郎(軍隊時代の同僚)の息子で、丁原三郎は乙山の近所に住んでいた与太郎(彦根の検察庁長官であった。)を電話探知機で動かし、乙山の体を使って殺し、自分の息子を検察庁長官にした。その恨みを晴らすため、かたきを討つため、太郎を殺した。」と述べ、右の妄想に支配されて行動し、太郎の左側頭部を角材で執拗に殴り、死亡させたもので、本件事故当時活発な妄想状態にあり、その妄想は、精神分裂病を罹患していることにより生じており、太郎について「死んだことになっていますけれど、まだ生きています。輸血すればまだもちます。」と述べるなど、犯罪を行った実感が全くない状態であることから、本件事故当時是非を弁別する能力又はそれに従って行動する能力が全く欠如した状態にあったと結論付けられている。

大津地方検察庁は、右結果を踏まえ、乙山は本件事件当時心神喪失状態にあったとして、同月一二日不起訴処分にした。

乙山は、その後近江八幡市内の青樹会病院に措置入院となった。

(以上、甲二、甲八、甲九)

4  太郎について

(一)  太郎(昭和三年二月二九日生)は、平成六年三月二日から脳動脈瘤破裂(くも膜下出血)、脳梗塞症等で、豊郷病院脳外科に入院して手術を受け、一旦退院したが、脳梗塞の発症を起こして、同病院に再入院していた。太郎は、平成七年四月八日、豊郷病院から被告病院内科を受診し、診療にあたった丙川医師は、太郎を脳動脈破裂後遺症、高血圧、脳梗塞、胃十二指腸潰瘍、骨粗鬆症、慢性肝炎、遷延性意識障害と診断した。太郎は、片麻痺があったため、リハビリテーションを目的として同病院の老年病棟二〇三号室(八人部屋)に入院し、丙川医師がその診療を担当していた。

(二)  太郎は、被告病院入院当時、片麻痺と若干の歩行障害があったが、意識は割りに正常であり、歩行も可能、食欲も正常で、ほとんど介助は要らなかった。

太郎は、被告病院に入院した直後から点滴を受けていたが、同年九月二日食欲がなくなったので、高カロリー輸液による経静脈栄養(IVH)の点滴が開始され、その後食欲が出てきたので、IVHの点滴を取り止め、再度食欲がなくなったので、IVHの点滴を行ったりしてきたが、同年一二月二八日には太郎の食欲は全くなく、意識も少し悪くなり、寝たきりの状態となり、右状態は本件事故当時においても余り変わらなかった。丙川医師は、太郎の右症状は脳梗塞の再発であるとして、その治療にあたってきた。

(以上(一)、(二)につき乙二、証人丙川)

(三)  太郎は、同年一二月一二日、二〇二号室に移り、乙山と同室になり、乙山の隣のベッドにいた(甲一、乙二)。

5  精神分裂病等について

(一)  精神分裂病は、まとまりのないあるいは分断された考えや、場面にそぐわない不適切な感情の表出、現実からの遊離といった状態を示す疾患であって、一般に種々の分類方法があるが、主なものとして、破瓜型、緊張型、妄想型がある。

妄想型の症状は、主に特定の事柄についてだけ妄想を持ち続け、自分が蒙っている迫害の由来を電気・魔術という一般的出来事に帰着させたり、周囲の人を迫害者として加害を加えることがあり、妄想が強くなると、相手方に対して、機先を制して暴力を振るったり、相手が自分を殺そうとしていると確信して逆に相手を刺し殺してしまうことさえ起こりうる。

(以上、甲六、甲一二)

(二)  精神分裂病の治療法の一つとして向精神薬を服用する薬物療法があるが、その方法による場合、寛解の状態になっても、長時間向精神薬を服用し続けなければ、精神分裂病を再燃する可能性がある(甲一二、甲一五、甲一六、証人西村、鑑定の結果)。

(三)  精神分裂病者の殺人には次のような傾向が見られる。

(1) 犯行の動機は、直接妄想や、幻覚に基づくものが、六六パーセントを占める。

(2) 犯行に先立って自ら挑発的な言動を為したとみなされる被害者は、全体の九パーセントで、重大な挑発行為に限れば、わずか1.4パーセントを占めるにすぎない。

(3) 罹患期間の長さは精神分裂病者の危険性を必ずしも減ずるものではなく、五年以上の病歴を有する者が総数の七〇パーセントを占めており、二〇年以上の病歴を有する者さえ一四パーセントを占める。

(4) 過去に精神病院で入院治療を受けたことのある者が、総数の六〇パーセントを占めており、一時的な入院治療だけでは、犯罪予防効果は余り期待できない。

(5) 犯行時の主症状としては、妄想と幻覚症状を有する者が多く、総数のそれぞれ九三パーセントと六一パーセントを占める。また、程度の差はあるが感情鈍麻を指摘される事例も総数の六一パーセントと多い。

(6) 病型については、妄想型に属する者が総数の六〇パーセントを占める。

(7) 突発群(犯行時、及びその直前の一時期を除けば、発病後特に暴力行動を示したことがないとみなされるもの)においても、犯行前に異常な徴候を示したものが多い。

(8) 犯行前に犯人を診療、介護した医療者が、適切な判断、措置をしていれば、犯行が未然に防がれたであろうと思われる事例は少なくない。

(以上、甲七)

(四)  多発性脳梗塞を発症した場合、多彩な神経症状を呈することがあり、器質性の大脳障害を来たし、それにより、判断能力や人格に障害が生じ、幻覚、妄想が現われることもあり得る(乙八、証人丙川)。

二  乙山が本件事故に及んだ原因について検討する。

1  右一認定の事実及び鑑定の結果によれば、乙山は、昭和三〇年一〇月に精神分裂病を発症し、以後入退院を繰り返してきたが、昭和五一年二月に豊郷病院を退院した後多発性脳梗塞を発症して平成七年八月一日に近江八幡市民病院に搬送されるまでの間約一九年間豊郷病院に継続して通院し、向精神薬を服用していたことから、精神分裂病の症状は顕在化することなく安定した状態で推移していたところ、被告病院に入院した平成七年八月八日以降、それまで服用していた向精神薬を服用しなくなり、精神分裂病の治療を受けることもなかったため、同年一一月二六日から、乙山には精神分裂病の症状の再燃の徴候とみられる異常言動が出現し、その後、精神分裂病の症状が再燃し、本件事故当時には活発な妄想状態に陥り、太郎をかねて乙山において恨みを抱いていた人物の息子であると誤認し、その恨みを晴らし、かたきを討つためと称して本件事故に及んだと認めるのが相当である。

2  被告は、平成七年一一月二六日以降に現われた乙山の異常言動は、多発性脳梗塞の後遺症の一症状であって、精神分裂病によるものではない旨と主張する。

しかしながら、前記一認定のとおり、脳梗塞を発症した場合、器質性の大脳障害を来たし、それにより判断能力や人格に障害が生じ、幻覚、妄想が現われることもあり得るものの、前記一認定に係る乙山の精神分裂病発症後本件事故に至るまでの病状、治療経過、被告病院での乙山の異常言動はそれまで継続して服用していた向精神薬の服用を中断した後出現したものであること等に照らせば、平成七年一一月二六日以降の乙山の異常言動は、精神分裂病の再燃の徴候であるというべきであり、近江八幡市民病院に救急搬送された後の乙山の症状には多発性脳梗塞を発症したことにより来した器質性大脳障害による判断能力や人格障害が存在した可能性が認められるとしても、右各障害は、精神分裂病の再燃に付加的に作用したものというのが相当であるから、被告の右主張は採用できない。

三  被告の責任原因について検討する。

前記一認定及び括弧内掲記の証拠によれば、

1  近江八幡市民病院での乙山の主治医である山本孝徳医師は、被告病院に転院させるにあたり、被告病院においても乙山に対して向精神薬を投与してほしいと考え、被告病院の担当医宛ての診療情報提供書を作成し、同書に、乙山の診断名として多発性脳梗塞、糖尿病とともに精神分裂病を記載し、乙山の精神分裂病の発症からの経過、現在の症状との関係、近江八幡市民病院では精神分裂病の管理ができないから被告病院に転院することになったこと、近江八幡市民病院入院中乙山は豊郷病院で処方した薬を内服していたこと、その薬の内容については直接豊郷病院に問い合わせてほしいと記載した。

2  丙川医師は、右診療情報提供書を閲読し、乙山は精神分裂病で昭和三四年から昭和五一年まで入退院を繰り返し、その後も内服薬を飲み続けていることを知り、豊郷病院に照会して同病院が投与している薬剤等についての回答を得た。

3  精神分裂病は、寛解状態にあっても向精神薬の服用を中断すれば再燃する可能性があり、かつ、妄想型の精神分裂病の中には周囲の者を迫害者としてこれに危害を加え、妄想が活発になると殺害行為に及ぶこともある。

4  丙川医師は、専門は腹部外科であり、精神科で取り扱う疾患を診断することはなかったが(証人丙川)、乙山の診療にあたった医師として、右3についてはこれを認識することはできたし、また認識すべきであった。

5  しかるに、丙川医師は、乙山の精神分裂病の病歴や現在の状況等について右2以上に調査することなく、診療情報提供書に記載のある精神分裂病は既往症であると判断し、被告病院に入院中乙山に対し豊郷病院で処方していたような向精神薬の投与をすることなく、また、乙山に精神分裂病の症状が再燃する可能性があることを前提とした経過観察等を行わなかった。

6  乙山には平成七年一一月二六日から精神分裂病の症状の再燃の徴候とみられる異常行動が出現し、丙川医師において向精神薬であるセレネースを投与し、これにより乙山の症状は改善したが、丙川医師は、乙山の右症状は多発性脳梗塞による器質性障害であると判断し、精神分裂病の症状が再燃したとは考えなかった。

のであり、以上を併せ考えれば、丙川医師には、精神分裂病の症状の再燃の可能性を認識した上で、乙山に対し豊郷病院で投与していたと同種の向精神薬を服用させ、また、乙山に精神分裂病の症状の再燃の徴候とみられる異常言動が出現したときには、精神分裂病の症状の再燃を疑い、直ちに豊郷病院に照会し、乙山の病状や治療の経過を把握し、向精神薬の服用の継続などの適切な措置を採るべきであったにもかかわらず、右措置を採らなかったため、乙山は被告病院入院中に精神分裂病の症状を再燃して活発な妄想状態に陥り、本件事故に及んだというのが相当である。

丙川医師の右行為は、被告の履行補助者として、被告と太郎との間で締結された診療契約に付随する義務である安全配慮義務に違反するものというべきであって、被告は、太郎に対して負っている安全配慮義務を怠ったものであるから、民法四一五条に基づき、本件事故によって太郎が被った損害を賠償する責任がある。

四  本件事故による損害額

1  逸失利益九四二万五七一四円

(一)  太郎は、本件事故に遭わなければ、死亡時(死亡時六七歳であったことは当事者間に争いがない。)から平成八年簡易生命表による六七歳男子の平均余命15.51年間、社会保険庁から、老齢基礎年金及び老齢厚生年金として合計年一八一万六二〇〇円の支給を受けることができたことを認めることができる(甲四)。

これをもとに、年金がその性質上本人の生活費に充てられる部分が多いことから、生活費割合を五割とみて、ライプニッツ式計算法により、年五分の割合による中間利息を控除して、太郎の逸失利益を算定すると、九四二万五七一四円となる。

(計算式 1,816,200×(1−0.5)×10.3796=9,425,714)。

(二)(1)  被告は、社会保険庁から支給される老齢、厚生・基礎年金は、老齢である太郎の生活、病気療養費等に必要なものとして支給されているものであり、本来太郎を扶養する義務のある原告らの得べかりし利益の喪失の基礎となる事業所得等の収入ではない旨主張する。

しかしながら、老齢基礎年金や老齢厚生年金は、年金受給者に対して損失補償ないし生活保障を与えるものであるとともに、その者の収入に生計を依存している家族に対する関係においても、同一の機能を営むものと認められるから、他人の不法行為により死亡した者の得べかりし年金はその逸失利益として相続人が相続によりこれを取得するものと解するのが相当であるから、被告の右主張は採用できない。

(2) 被告は、太郎が、本件事故当時ほとんど食事を摂らずIVH(高カロリー輸液による経静脈栄養)で栄養を補給するだけの極めて重篤な病状にあった旨主張し、乙七(丙川医師の陳述書)及び証人丙川の供述には、本件事故当時の太郎の身体の状態からして、同人の余命は一年程度であったとする部分が存在する。

しかしながら、太郎の病状経過や本件事故当時の状態等が前記一認定のとおりであったとしても、そのことから、直ちに、太郎の余命が一年程度であったとは断定し難いし、他に太郎の生存可能年数が同年齢の男子の平均余命より短いことを裏付ける客観的な資料もないことに照らせば、被告主張のように、本件事故当時太郎が重篤な病状にあったことをもって、同人の逸失利益を算定するに際し、太郎と同年齢の男子の平均余命を採用することを不合理ということはできない。

2  慰謝料 二〇〇〇万円

本件事故の態様、結果等諸般の事情を考え併せれば、慰謝料としては、右金員をもって相当と認める。

3  葬儀費用 一二〇万円

本件事故と相当因果関係にある葬儀費用は、一二〇万円とみるのが相当である。

五  結論

よって、原告らの主位的請求は、被告に対し、原告甲野花子につき、右四1ないし3の合計額に同原告の相続分である二分の一を乗じた一五三一万二八五七円、原告甲野春男、同甲村夏子及び同甲野秋男につき、右合計額に同原告らの相続分である六分の一を乗じた五一〇万四二八五円及びこれらに対する本件訴状送達による催告の日の翌日である平成八年九月八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし(なお、右棄却部分につき、予備的請求によってもこれを認容することができないことは既に説示したところから明らかであるので、右棄却部分に対応する予備的請求もこれを棄却する。)、訴訟費用の負担について民訴法六一条、六四条、六五条を、仮執行宣言について同法二五九条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・神吉正則、裁判官・佐賀義史、裁判官・後藤真孝)

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